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早稲田ユナイテッド選手紹介No.2【長井章浩〜前編〜】
広報

 

“成果”

一言で言えば簡単だが、サッカーの世界において一概に『成果』をはかることは難しい。
最短で目標を達成することが成果とされる瞬間もあれば、継続的な努力によってもたらされた偉業が成果と評価される瞬間もある。
しかし、後者の場合、なかなかその成果を待てずにピッチを去る選手は少なくない。サッカーに限らず、スポーツ界、いや社会は思いのほか夢を追うものに厳しい。遅咲きでも叶えれば成果であり称賛に値し、途中で投げ出せば敗北者。

チーム一といっていいほど自分に厳しい彼も、

「成果が出ていない=努力してない」

と、きっぱりと言ってのけた。

ただ、若手が台頭する中、レギュラーとしてコンスタントに試合に出場し、東京都社会人サッカー1部2012ベストイレブンに選出され、チームをリーグ戦2位、そして、初の関東社会人サッカー大会出場に導いたという肩書きを見れば、社会人サッカーを知る人なら、この成果をみて一定の評価をするはずだ。

表彰左から松井、今矢監督、岩崎代表、長井、中島

しかし、評価をされたと同時に、この一回の栄光を築くためにどれだけの苦労と努力があったかに、あまり人は関心を持たない。単純に、彼には才能があり、過去にも、そして今後も同様の成果を残し続けるのではないかという勝手な思い込みが働く。

長井章浩、29歳。2004年早稲田大学入学、早稲田大学ア式蹴球部(以下、ア式)入部。

「高校は弱小チームだったから、1年からレギュラーで出てた。でも、中学の時から強豪校には行けないのがわかっていたから、最初から大学でサッカーをやることを考えてた。」

既に中学3年時から大学を見据えていたはずだった。しかし、思わぬ壁が立ちはだかる。2度の大学受験失敗。誰よりも早く先を見ていたはずの長井の目論みは狂い始める。

「高校は春のインターハイ予選で引退。浪人時代を含めると高校3年間分、丸々サッカーしてないようなもんだからね。」

そして、念願の大学サッカー部の門を叩いてからも誤算は続く。
当時の早稲田は長井がちょうど4年次に迎える大学創立125周年を見据え、体育会各部の強化を一斉に行っていた。ア式にも強化の一環で多くの有望選手が入部しおり、同期には、長井の受験勉強中に高校選手権で活躍していた兵藤慎剛(横浜FM)、鈴木修人(北九州)、山本脩斗(磐田)などが名を連ねた。
ようやくサッカーをできる環境を手に入れたはずだったが、中学から思い描いていた大学サッカーにおいてトップチームで活躍するという目標は想像以上にハードルの高いものだった。

トップチームに手が届かなかった彼の在籍したカテゴリーは、トップチームのメンバー以外にも公式戦の出場機会を提供し、選手の自立と大学サッカーの底辺拡大を目指して2003年に創設されたIリーグという環境だった。全国大会も開催されるカテゴリーで彼は4年次にキャプテンとしてチームを牽引。

「もちろんIリーグで学んだことも、達成感もあった。でも、個人での達成感は物足りなかった。」

大学4年次、チームは悲願であったインカレで優勝。見事、日本一に輝いた。その試合をメンバーを支える存在であるチーム付きという立場で、ピッチサイドから見届けた時の思いを、彼はこう語った。

「自分がピッチに立てないことに対する悔しい気持ちはあったし、うらやましい思いもあった。でも、皆の努力を知ってるし、そういうやつらのために何かできるかなと思った。」

だからこそなのか、大学受験、入学後に挫折を経験してもなお、社会人になって挑戦し続け、昨年手に入れた”成果”について質問すると意外な答えが返ってきた。

「兵藤たちの影響が大きいかな。正直、大学の1年の時にこいつらにはサッカーでは勝てないと思った。でも、3年間、一日も休まず受験勉強したし、サッカーだって高校時代も大学時代も誰よりも練習してきたという自負はあった。だからサッカーというフィールドだけじゃなくて社会人として最終的に彼らに負けたくないという思いはあった。だからこそ、仕事もサッカーも頑張りたいと思えるようになったのかな。」

IMG_0558大学4年インカレ優勝時に同期と撮影した写真・長井は写真最前列左

夢を打ち砕かれたはずの環境が、少しずつ彼の考えを変えていった。

中学3年の時から思い描いた大学生活は、チームの日本一という有終の美を飾りつつも、中学時代の本人からすると少し違った形で幕を閉じた。しかし、その経験が確実に今の彼を作っていることは言うまでもない。

〜近日公開予定の後編へ続く〜